井伊大老と桜田門外の変
5月27日の西郷どんでは
吉之助が奄美大島での愛加那との生活を
満喫しているようでしたね。
一方、薩摩では島津斉興が亡くなり、
久光が藩の権力を握ります。
そんな久光に正助(大久保利通)が接近します。
さらに、江戸では1860年3月に桜田門外の変が起きます。
大老の井伊直弼が水戸藩を脱藩した浪士達に
桜田門外で襲われて暗殺されます。
明治にかけて主要人物を暗殺される事件が相次ぎますが
この桜田門外の変が始まりのように思います。
井伊直弼といえば、13代将軍徳川家定の跡継ぎを巡って争われた
将軍継嗣問題によって頭角を現してきました。
一橋慶喜を推す越前藩主松平慶永や薩摩藩の島津斉彬に対して
徳川慶福(後の家茂)を推していました。
京で、島津斉彬の命をうけた西郷吉之助や橋本佐内が
一橋慶喜を将軍に据える朝廷工作をして成功しかけたのに
それをひっくり返して、慶福を将軍の跡継ぎにしてしまいました。
家定の死後には大老に就任し
天皇の勅許を得ないままにアメリカと日米修好通商条約に調印して
孝明天皇の怒りを招きます。
さらには、一橋慶喜を将軍に推した一橋派を弾圧(安政の大獄)し
橋本佐内や吉田松陰らを処刑します。
こうした専制的な政治に対する怒りが蓄積していき
桜田門外の変へとつながっていったのでしょう。
この事件が幕府の権威を大きく弱めるきっかけになったのだと思い
1867年の大政奉還の7年前の出来事です。